人生の教科書

カテゴリー別アーカイブ: 日記

お盆の季節に思う

心が貧しいとは感じませんか?

志摩憶測やデマで苦しむ人々がいる。それを見てほくそ笑む人もいる。人間世界の浮き彫です。

人生は、大切な人や自分がこの瞬間ここにあることへの感謝の積み重ねに気付き、それを積み重ねることでできています。

供養は、レンガのピースのような物です。

毎日毎日無心に供養を積み重ねることで功徳がある。いわば、煉瓦の壁ができるのです。何をしたら功徳になるのか?

そういう問いもあります。

見返りを求めた行いは、無功徳ですよ。

道徳では、よしとされることでも、仏教では何にもならないのです。

たとえ見た目で同じ行為に見えても、心に疚しさがあれば功徳では無いのです。

無作為に三歳児のような無邪気さで物事に取り組むことが必要になってきました。

呼吸をすることに作為はない。

無作為の善意が、世界を良い方向に舵を取るでしょう!

Pay forward to the others

教えは違っても本質に違いは無い。

人生感謝してより良く生きる。あなたは先祖様の分身だから、命を燃やし尽くすまでよく生きる。

時がきたら灰になればよいのです。

お盆の季節に、顔も名前さえ知らぬ遠い先祖に想いを馳せるとともに感謝の心で息をして下さい。

合掌

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ゼロ発進

春爛漫の宴が自然の中で催されている。

人が見ようと見まいと季節が来れば、花は咲き散っていく。高山や谷間に咲く花でさえ、あるがままにそこに存在している。

人生模様はさまざまですが、正しく苦労することは人生に厚みを作ります。権利意識が強くなるきらいが強いと反面何か失ってしまっていることさえ気付かずに人生は終わる。

諸行無常とは、全てのものが変化するということです。

そこにあるのがあたりまえでないということです。親や兄弟、親戚、友人でさえ、なぜその人たちとつながっているのでしょうか?

不思議に思いませんか?

不思議でない方は、ここで読むのをやめていただきたい。

連綿と受け継がれる生命があっても、あたりまえだと感じる親や兄弟でさえ、その方でなくてもよかったはずです。

でも、なぜか親や兄弟としてつながっている。

奇跡は、なにげない日常にも起きているのです。

そこに『なぜ?』

と問いかけられる感性とイメージ力があるかないかの差だと感じます。この差がどんどん開けば、気づくひととそうでないひとの差は圧倒的になります。

人生のやり直しはできますが、人生の終焉では遅過ぎる。かといって最初期では自覚できない。気づきとは、水面に小石を投げ入れて波紋が立つようなものとイメージします。

物理学の共鳴理論のように近い周波数帯域における共鳴が起こる仕組みと似ているかもしれません。いずれも、気づきのヒントでしょう?

無意識に何かをするのは、脳がエネルギー消費を抑えるためにそうしていると大脳生理学にはあります。いったん、それを無意識から意識へと変換してみる。

注意して意識しながら行うのと、無意識で行うのでは、同じ行動でも違いが見られます。

無意識から意識への変革。意識を言語化したり、イメージし表現する力。そういうことが何よりも重要な時代になってきました。

生きにくくするのも、生きやすくするのもあなた次第です。

合掌

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見えない何か?

ちょうど春彼岸が終わり、昨年の忌まわしい記憶が蘇る。

令和2年3月18日午後1時過ぎ、法務多忙で境内内の掃除やお焚き上げができていなかったので数カ所で少しづつ燃やしながら移動していた。

駐車場の掃除の途中で突風が吹き火が山際に飛んだ。見る間に燃え広がって斜面を駆け上って行く。斜面の上に先回りして土を出せば堆積した枯れ葉に燃え移らないだろう?

やるしかないと決断し、斜面の上から土を出してゆくが日の勢いが強くなり風向きが変わった。

だめだ間に合わない!

山の斜面に身体の左側を下にして立っていたので、駆け上がってくる炎で身体の左側が生きながら一瞬で蝋燭のように溶けた。

煙に巻かれ、焼かれながら絶望的に迫りくる炎の空を見る。ゆらゆらと揺れる何かが炎の上にある。知らない顔のようなものがゆらゆらと揺れながらこっちを見ている。

 「お迎え」が来るとき、先祖の誰かや友人たちがその人のところへ現れるなんていうことを聞いたことがあった。

その間も生きながらだんだん身体は焼かれていく

走馬灯のように記憶が蘇り走り去る。その刹那、一ヶ所だけ日の弱い場所が見えた。そこをめがけ崖から3m滑り落ちた。

ドクターヘリで救急病院に運ばれた。熱傷度3であった。4なら左腕を切り落とすところであった。煙を多量に吸い込んだため一酸化炭素中毒で危険な状態だった。高濃度の酸素を二日間に渡って吸引し解毒した。

火傷の方だが、腕から多量の体液とうみが出るので大人用の紙おむつを腕に巻かれた。そのまま動かないようにベッドに固定される。毎日午後の診察時に包帯を換え薬を塗る。この前に水で流しながら腕を擦られる。

これが最大の恐怖であった。

皮膚の再生のため再生しかけている皮膚でさえもうみと一緒に擦り落とされる。この痛みは形容し難いのであった。

水を流されただけでも染みて痛いのにそこを擦られる。

「かなり痛いと思いますが良くなるために必要なので我慢してください!』

触られてぎゃーっと叫んで悶えるのみであった。今となれば、その痛みもどの程度だったか虚な記憶だが、とにかく形容し難い痛みだったのは確かである。

ところで、人の身体は動けないように固定されると若くても約3週間で身体の機能は80歳程度になる。1950年代にアメリカ陸軍が20歳の新兵を3週間ベッドに縛りつけたらどうなるかという実験をした。飲食も排泄も縛り付けられたままするのだ。3週間後、見事に80歳の新兵のできあがりである。人の身体は環境に適応する機能があるが、寝返りも打てない状況では急速に退化する。

わたしの腕は、手首から先が炎で焼かれたここと長期間手を動かせなかったことで、手首から先が麻痺した。

毎晩眠れないほどの痛みだけが残った。

この痛みが生かされている事実を教えてくれる。勝手に生きているのではない。何か理由があるのだ。

「不幸中の幸い」という言葉もある。

ただ生きているのではなく、何かに護られる理由があって生かされているのだ。それ故に、わたしも生き人も生かし(活かす)たい。

指も動くようになってはきているが、細かい動きが難しい。着物などは紐で縛るので、人差し指と親指を使う。これを他の指で代用しようとしてもできない。

手首からの神経は親指側から通常使われることが多い。これを逆にする。要するに、小指から順番に動かし力を入れて抜く練習をする。なるべく親指側に力を入れないように均等に指に力を入れる。そういう意識が大切になってくる。

左側を庇って右腕を酷使する。そうすると身体が歪むので違う箇所がひどく痛む。人間の体は微妙なバランスの上に成り立っているのだ。前屈みで仕事をすることが多い。事務仕事もそうだが前屈みでやることは多いものである。同じ動作を長時間せず、ストレッチなど休息を入れながら短時間で済ますことが歪みを生まない秘訣なのだ。

彼岸と此岸の出会う時と場所があるのかもしれない。

その時、あなたは何を思う?

毎日の終わりに、今日やり残しがなかったかどうか考える。後悔のないよう最善を尽くして今日を終わろう。

たとえ計画的にやっていることさえも、今日やり残したことがないように生きるのだ。よりよく生きるために最大の努力と実践が人生を拓くと信じる。

合掌

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鶴舞う形の群馬県

第二次世界大戦後の復興期、子どもたちに郷土の歴史をしてもらうことと希望をつないで育ってもらいたい。その思いを込めて郷土かるたができた。現在まで絵札のデザインが変更されただけで語り継がれている。

群馬県民は、上毛かるたを全員覚えているのでは?というくらい馴染みが深いのである。かるたという言葉は、ポルトガル語であり『Carta』と表記する。英語でいうところの「Card」である。古くは天正年間に日本に入って来たという説があり、日本人に親しまれている。

標題の『鶴舞う形の群馬県』は、明治初年に群馬県の扱いをめぐって変遷があったのである。したがって、現在の形に落ち着くまで変遷の歴史があるのです。

昔江戸と言われた場所が、東京と名称が変わり今では日本の政治経済の中心地である。東京が首都になる以前は、群馬県が首都になる候補地として真剣に討議された記録があるというのであるから驚きである。

江戸時代に中仙道が通っており、江戸までの中継地点で交通の要所として重要拠点であったのは確かであろう。群馬県庁は、江戸時代の厩橋城の跡地に建設されたものである。20数年前に現在の県庁庁舎ビルが建設される折、大規模な遺構調査も行われている。

現在でも、首都圏に近く適当に離れているので、東京の会社や東北の会社などが中継地点として高崎市に集まっている。

地震などの自然災害も怖いが、政治経済の中心を一ヶ所に留めておくのは、如何なものだろうか?他の国もそうだが、首都だから政治や経済の中心であるということはない。できるだけリスクを分散させるのが妥当なのだ。

ところで、昨年ゴーツーなる旅行キャンペーンを政府主導でやったのが記憶に新しい。週末には、軽井沢観光帰りの他県ナンバーで国道が渋滞していた。軽井沢はリゾート地として有名だが、あまりに他県ナンバーの車両が多いので驚いたものであった。

最近、群馬県をとりあげた書籍を一つのコーナにまとめてあるのが目に止まった。上毛かるたもその中にあったのだ。おまけに英語版もあった。以前お土産に購入したことがあったのを思い出す。

いずれにしても、日本の一地方の文化が、海外まで浸透して理解が深まるのはよいことだと考える。

日本人でも地方の文化を全て熟知しているわけではない。それなのに日本はどこも同じ、同質なのだと早合点するのは早計というものであろう。郷土文化の誇りはどの県や地方にもあり、たとえ同じ県内でも東西南北ではかなり違ったりするのです。

住んでいる場所でも知らないことはたくさんありますね。

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お彼岸に思うこと

春分の日を含めた前後3日をお彼岸といいます。

みなさんもご親戚や先祖代々のお墓参りをなさってるかなと拝察いたします。今自分がここにいる。不思議だなーなんて感じることはありませんか?顔も知らないご先祖から命を分けていただいているから自分が存在する。

『そんなのあたりまえだよ!』なんて言う前に考えてみましょう?

もしかしたら人間で生まれてこなかったかもしれません。それに周りにいらっしゃる人たちとも出会えなかったかもしれません。

ここで確率論を述べるつもりはないのです。

 

感謝の心でものごとを捉えると、あらゆるものが違って感じられるということです。ささやかなことでも不思議だな。ああ、ありがたいなと感じる瞬間が大切なのです。

お店で買い物をするのにも、こっちは客なんだからこれくらい店員がするのはあたりまえだよ。

本当にそうなのでしょうか?

この世界に生まれたのが、有り難いのではないでしょうか?ありがたいは、「有難い」と書きますね。

つまり、ここにいるのが万に一つなくらい不思議なことなのです。

この世界に生まれなくてもよかったのになぜか生きている。そして息をしている。周りには家族や友人がいてくれる。

小さな日常の一コマでも、こういうことに幸せを感じませんか?

もしあなたが世界で独りぼっちだったらどうでしょう?

戦前、戦中、戦後を生き抜いたお年寄りが亡くなっています。語り継ぐべき物語や体験談がございます。

一度、質問させていただいたことがございます。

食糧不足や戦争の不安で大変な時代だったんじゃありませんか?今と比べてどうですか?しばらくお考えになって、その方が仰いました。

昔は貧乏で食べ物も少なかった。だけども、不安にならなかった。孤独じゃなかったし、周りにも打ち明け話をできる人がたくさんいたから。

今は、食糧難でもないし道端で行き倒れの方など見ることはほとんどない。しかし、孤独と不安を感じ生きている方がこれほど多いことも今までなかったかもしれないのです。

わたしたちは、それでも生きて前に進みます。

寂しさや悲しさや不安でさえも糧にして

目の前が暗くても灯火をつけあって歩来ましょう

 

奇しくも令和3年3月11日は、東日本大震災から10年の節目でございました。多くの人々の生命を飲み込んだ災害からそれだけの年月が過ぎたのですね。

冥福をお祈りしながら生きること。思い出を忘れない。一人ひとりにできることは限られてしまうかもしれませんが前に進みましょう。

今日を生きたことに感謝を捧げることから生まれ変わる。昨日という過去とは違うあなたへ

合掌

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自由から自遊へ

時が過ぎ新しい風が吹く

思考の遺物が払拭される

わたしはどうありたいのか?

歴史に登場する人々

才智に優れた人であっても

時と場所が合っていなければ

名前を残すことさえ叶わなかったのかな?

そんな感じが気持ちを通り過ぎて行く

わたしたちが進むその先に

何があるのか分からない

でもワクワクしませんか?

今までお目にかかれなかったものが

どんどん見えてくる時代

もう目の前まで来ています

ARやVRなど映画で描かれた未来

わたしたちの感性やイメージ力

それは真似できないのです

AIは優れたものです

特定のカテゴリーを認知する

ただのプログラムに過ぎません

わたしたちは人として生まれ

人として死ぬのです

 

 

100年時代といっても

人の命は儚く短いけど

美しい

宇宙を見上げる

最後に光届けて

そこに星はないかもしれない

わたしたちはいつでも

生きた証を遺してきた

限られた生命だから

 

燃やし尽くす覚悟で生きる

 

あなたはご自分の人生をどうしたいのですか?

 

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偏見の世界へようこそ

この世界は、差別と偏見の世界です。きれいごとを並べて差別をやめましょう。偏見は悪いことですと騒いでも、差別する人は変わらないのです。

そうではなく捉え方の問題ですが、他人を変えようとしてもその人は絶対変わりません!絶対変わらないのです。人はそのように昔からできているのです。自然状態の他人をこちらの思うままに動かせたら、それは洗脳でしょう?

私がここで述べているのは、絶対的不可能論ではありません。むしろ、相対的可能論とでも言いたいくらいです。

つまり自覚すれば一瞬で人は変われますが、ありたい自分でいたいと感じなければ、変わらないというのことです。

自由の国とか揶揄されるアメリカですが、人種差別の坩堝というかシチューみたいな国ですね。白人系(アングロ・サクソン等)、ヒスパニック系、アジア系(黄色人種)、黒人系と大別されますが、新コロナ感染症拡散後、人種間や貧富の差の拡大による分断が大きな話題となっています。

日本では肌身に感じることの少ない事例ですが、他の国では人種が違って話す言葉や文化が違うことがあたりまえですし、個人で差があるのが前提条件の国なのです。よってこの条件を理解しないと大きな壁に突き当たります。日本も文化の質の差こそあれ、この状況に近い構図が現れ始めています。これは、またの機会にお話しましょう。

文化の質が異なるので、相手の背景に見え隠れする文化の質の差を理解し差分を埋めてゆく作業をせずに交流するのは難しいでしょう。残念ですが、相手がわかってくれるはずという思惑がいっさい通じません。

ことばは、ただの『道具』です。

一貫した態度や思いやりで向き合うことが大切ですね。日本人同士ならなおさらこれは大切なのですが、これを意識的にできている人がいるのでしょうか?

もし、できているのなら、この先は読まないで結構ですから退席していただいてOK!

表面的な優しさより大切なのは、思いやりでしょう?常に自分の延長線上に他人がいることを感じて行動すること。何も海外に行かなくてもいいんです。これができれば、どこに行ってもほぼ大丈夫でしょう。

大切なのは、態度と行動の積み重ねが、その人を作っているという事実です。作法が人格や行動を掌り、人生の方向性を決めている。

人生の目的を誰も教えないのが、戦後教育の誤ちではないのか?と感じるのです。知識偏重教育の果てに自分で考えず他人と比べて浮き沈みという自己肯定力の低い国民を量産してしまった。わたしたちは、地域ごとに多様な文化を持っていた筈です。

黒澤明監督作品で、『生きる』という映画がありました。戦後の復興期に公園を作るため命を削って市民の要望を叶えようとした。今では公園はどこにでもある。しかしながら、同じものがどこにでもあることのどこがよいのですか?

利便性を優先し、首都に集中した結果、世界でも類を見ない歪な地域差を作ってしまった。もちろん過疎になる地域はどこの国にもあります。それには理由があり、対策を講じています。

しかし、日本ではそれがない。どこも同じなのがよいことという思い込みがあるから、個人を認めない。承認欲求は、大なり小なり誰にでもありますが、依存的な関係を望むようになり、個人として自立できません。

生きるということを他人任せにする風潮がますます強くなってきたと感じるのです。

これをお読みのReaders各位の考えは如何でしょうか?

日本という国の文化や伝統は、他の国から絶賛されておりますが、日本に暮らすわたしたちに自分の文化を尊び護ってゆく覚悟が無ければ、モノで豊かになって心が滅びた人たちとなること必定です。

自分自身を省みて、先祖の遺した文化伝統を護ること。すなわち日本人が日本人であるためにあたりまえのことをするのです。

ここに述べたのは、体制批判ではありません。

ただ、主観も多分に入ってございますが、自分で見て聞いた感想を述べている次第です。

百聞は一見に如かずでしょう?

To be continued…………

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Covid19

Think about something most important by yourself what’s happening in the world!

I have lots of friends all over the world.They asked me what’s happening in Japan?There’s so strange for them about self lock down at home.

‘Cause we have right to move from here to somewhere.Off course you can go everywhere you want to. You can understand freedom of movement of the constitution,right?

This is a one of basic human rights.

If we don’t do anything and don’t think anything,we lose every single right anyway.

The wind changes

We must consider what is the most important thing to do now.

Mass media release too much sad information everyday.They can kill somebody’s brain!

We do not accept all of information from TV program,we can choose the information resources.

We are already connected to the world!

All we have to do is just listening to the voice of the world!

Why don’t you ask anybody in the world,your friend of the world.They are waiting for us.

The traveling has just began.Do you want to scare something like this forever?

I know that you are going to say Hell No!!

Just feel that flow the times,and do something believe.

Keep on thinking ,never stop.

You know what I mean?

Read flow the new time.

It ‘s called the wind times.We can live this lifetime individually and freely.

Have fun new times and spread your wings.

Fly the sky high and feel the wind!!

zen temple,live freely,reboot your life

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禅 寺 終活 人生カウンセラー コーチング 墓地 富岡市 群馬県 音楽

 

夢とは見るものではない
行動実践して叶えるものであると考える
何事も実践ありきである

このレベルになったらこうしようと宣う方がいらっしゃるが、実際実践できた方にお目にかかったことなどない!

前に踏み出すことが大切なのである
Software開発を趣味にしているが、最新版にUp-dateしたところで所詮はBeta版である

完成形などこの世にないことがよく分かる

未熟でも見切り発車しないと人生の終わりの時間は迫るよ

ものごとの本質は、突き詰めていくと何事にも当てはまる
違って見えるのは、本質を突き詰めるほどやっていないからであろう
この世界はそういう風にできているのでしょう?
行動実践しない人には何も見えず感じない

つまり人としての本分を果たしていない残念なことになっているのだ

あなたは生きる
自分の人生を
与えられたものだ
ただし先祖からの借りものであって
あなたのものではない
だから大切に人生を修行する
周囲の人も大切にする

これを供養というのだ

わたしはものを教えない

自分で行動実践して考える

よく周りを見る

目に見えるものは偽りではないか?

考え感じるのだ

そして掴め

なぜ?
何をどうするのだ?

なぜはいい質問だが、どうすればは教えることでも教わることではない

答えが既にあるからであるからである

頭で理解しようとすれば
身体が動かず先送りが待っている

たった今、動き出し考えるのが最善策!

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禅 寺 終活 人生カウンセラー コーチング 墓地 富岡市 群馬県 音楽

人生

感染症の社会不安による人間崩壊が始まっていることに懸念を表明するものである。

昨年6月に半年ぶりに会った方などを例に挙げてみよう。

仮にAさんという方を登場人物にしてみよう。

塔婆をお願いしたAでございます。

久しぶりなので、客殿で近況をお聞きしてみた。

以下がその概要である。これを読んだみなさんの役に立てれば幸甚である。

A 感染症のことが不安でTV報道を朝2時間、昼2時間、夜寝る前まで3時間観ております。

私 なるほどそうなのですね、しかし合計7時間もTV報道を観れば余計に不安になりませんか?

A そうですね。不安になるから、もっとTVを観ないと居ても立ってもいられません。食事もする気にならず、人にも会わず、なるべく外出もしません。

私 気晴らしと運動も兼ねて散歩をすると気分もよくなるし、空腹になるんじゃありませんか?

A 人に会うと怖いので外に出たくありません。

この後、同様な話を7回ほど伺うことになった。認知症が発症しているようであり、今から話をしますから、ちゃんと聞いてくださいよと促された。

ここでわたしが問題定義したいのは、考え方が行動を制限し、思わぬところに落とし穴を掘ってしまうのではないかということである。

医学的な専門医から見地からすれば、わたしの言うことが素人の戯言であっても、主張する。潜在的にそういう方が増えてきてきるからである。

ここでいったんまとめてみる。

1運動しない

2眠れない

3食事しない

4人と会話をしない

5大量の不安情報を一方通行で受け取り続ける

ザックリと5つばかり気づいたことを述べてみた。上の5つを実践すれば、必ずとは言い切れないが高い確率で心が崩壊するであろう。医療崩壊はしないが、精神科崩壊の危機だと感じているのだ。

ところで、不安の相談を受けることが多くなってきた。

どうしたらよいのでしょう?教えてください!

あなたの人生を私がどうしようと言うのですか?かなりの無茶ぶりである。わたしは、問題解決機関ではない。まれに弁護士や司法書士もしている方もいるのだが、基本的にはNoである。

この地球上の70億人に違う人生があり、自己責任で生きるのだ。

生き方を既に証明されたお釈迦様という尊い方がいらっしゃる。人に生まれ、悩み、人間の本性に触れ、人として亡くなった。生き字引のような方である。

そういう方の遺した言葉に耳を傾け正く実践してみる。

さて、ある感染症にまつわる噂が一人歩きして、別の噂をでっち上げてしまうことに気がつくことがある。

そういう情報を全部受け止めるのではなく受け流す。ちょうど柳の木のようにしなやかに生きる。どんなに強くても全部受け止めれば、そこに軋轢は起こり終いに崩壊する。この世界は、再び出帆したのである。正しく怯え、正しく前に進む。わたしたちに続く世代のため立ち止まってばかりはいられないのだ。

それが今を生きることなのではないかな?

そんなことを徒然となく拙筆ながら申し上げている。

To be continued………..

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