第二次世界大戦後の復興期、子どもたちに郷土の歴史をしてもらうことと希望をつないで育ってもらいたい。その思いを込めて郷土かるたができた。現在まで絵札のデザインが変更されただけで語り継がれている。
群馬県民は、上毛かるたを全員覚えているのでは?というくらい馴染みが深いのである。かるたという言葉は、ポルトガル語であり『Carta』と表記する。英語でいうところの「Card」である。古くは天正年間に日本に入って来たという説があり、日本人に親しまれている。
標題の『鶴舞う形の群馬県』は、明治初年に群馬県の扱いをめぐって変遷があったのである。したがって、現在の形に落ち着くまで変遷の歴史があるのです。
昔江戸と言われた場所が、東京と名称が変わり今では日本の政治経済の中心地である。東京が首都になる以前は、群馬県が首都になる候補地として真剣に討議された記録があるというのであるから驚きである。
江戸時代に中仙道が通っており、江戸までの中継地点で交通の要所として重要拠点であったのは確かであろう。群馬県庁は、江戸時代の厩橋城の跡地に建設されたものである。20数年前に現在の県庁庁舎ビルが建設される折、大規模な遺構調査も行われている。
現在でも、首都圏に近く適当に離れているので、東京の会社や東北の会社などが中継地点として高崎市に集まっている。
地震などの自然災害も怖いが、政治経済の中心を一ヶ所に留めておくのは、如何なものだろうか?他の国もそうだが、首都だから政治や経済の中心であるということはない。できるだけリスクを分散させるのが妥当なのだ。
ところで、昨年ゴーツーなる旅行キャンペーンを政府主導でやったのが記憶に新しい。週末には、軽井沢観光帰りの他県ナンバーで国道が渋滞していた。軽井沢はリゾート地として有名だが、あまりに他県ナンバーの車両が多いので驚いたものであった。
最近、群馬県をとりあげた書籍を一つのコーナにまとめてあるのが目に止まった。上毛かるたもその中にあったのだ。おまけに英語版もあった。以前お土産に購入したことがあったのを思い出す。
いずれにしても、日本の一地方の文化が、海外まで浸透して理解が深まるのはよいことだと考える。
日本人でも地方の文化を全て熟知しているわけではない。それなのに日本はどこも同じ、同質なのだと早合点するのは早計というものであろう。郷土文化の誇りはどの県や地方にもあり、たとえ同じ県内でも東西南北ではかなり違ったりするのです。
住んでいる場所でも知らないことはたくさんありますね。
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